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創設者紹介

津田郁子
津田信敏に師事
「女心」「自我」「地熱」「異教徒」「オフィーリアの恋文」などで注目され、津田    姓を襲名した。
バレエ・モダンダンスの普及発展と舞踊家の研究向上、並びに次世代の舞踊家育成を目的とした埼玉県舞踊協会の設立に発起人の1人として参画
埼玉県舞踊協会の副会長を務め、その後会長に就任し、2010年より埼玉県舞踊協会名誉会長
1948年 共立講堂でデビューリサイタルを開催
1951年 浦和に稽古場を開設し、1957年に若松美黄と舞踊活動を展開
1968年 さいたま市桜区西堀にスタジオ 津田・若松舞踊研究所(自由ダンスカン             パニー)を設立
1970年 アーカンソー大学で踊り、1974年ニューヨークでの公演に参加
1970年代は、毎年ヨーロッパ研修に出かけた
1972年、1977年、1980年、1982年の4度にわたり「文化庁芸術祭優秀賞」を受賞
1981年 埼玉県知事より「文化ともしび賞」「文化奨励賞」を受賞
1988年 西ドイツのエッセンにおけるITI(国際芸術連盟)舞踊会議に日本代表とし                 て出席
1990年 「教育功労者賞」を受賞
1992年 「文化功労者賞」を受賞
1998年 文部科学省より「地域文化功労者賞」を受賞
2004年 埼玉県舞踊協会会長に就任
2010年 埼玉県舞踊協会名誉会長
2017年12月20日没
若松美黄
津田信敏舞踊研究所に入門、津田郁子と舞踊活動を展開。
1971年に文化庁芸術家在外研修でアメリカ・フランスに渡り自由な発想と劇場空間を使う卓越した構成力により舞踊界での地位を確かなものにした。
1976年に筑波大学体育科学系助教授、以降、教授、名誉教授、さらに日本女子体育大学のおいても研究・教育に携わり、舞踊学会会長、環アジア世界舞踊連盟会長を務めた。
病魔で他界する直前まで舞踊の普及・発展に情熱を傾け続け、日本のモダンダンス界に大きな職責と研究者としての後進育成に努めるなどの功績により従四位が与えられた。
1972年、1977年、1980年、1982年に「文化庁芸術祭優秀賞」を受賞
1976年 「舞踊批評家協会賞」を受賞
1980年 「埼玉県文化ともしび賞」を受賞
1999年 「紫綬褒章」を受賞
2006年 「第16回財団法人松山バレエ団顕彰教育賞」を受賞
2008年 「江口隆哉賞」、「東京新聞舞踊芸術賞」を受賞
2010年 旭日小綬章を受章
2012年 「従四位」 8月1日没 

 

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